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アマチュア無線のページ


電気通信部といえば、通常アマチュア無線の活動を行うクラブですが、 この登美高では現在パソコンによる活動がメインとなり、 アマチュア無線による活動は残念ながら行われておりません (今でも電気通信部という名称が残っているのは、 何かしら伝統が受け継がれている証拠なのかもしれません)。
このページでは、当時活動を行っていた先輩OB方の話を元にその活動内容を紹介します。


<JA3YSJ アマチュア無線局について>
アマ無線がまだ人気があった頃、物理室(2号館2階)で無線機を置いて交信していました。
府下インターハイ2位入賞他、府下で圧倒的強さを誇った電波伝播で無線界でよく知られていました (第8学区では一番高い海抜100mで、他の局では聞こえない無線局と交信できた)。
現在、免許が失効しているので、 このコールサインを使って無線局の運用をすることはできません。
今、OBの間で復活させようという動きがあります。
屋上からの風景

<通常の活動>
アマ無線がまだ人気があった頃、物理室(2号館2階)で無線機を置いて交信していました。
無線局もなくなっていたと言うことは、 アンテナ(2号館屋上)もなくなっていたでしょうね。
JA3YSJ アマチュア無線局はどうなったのでしょうか
学校に泊まり込みで、アンテナ設置等楽しい思い出があります。
アンテナその1

<文化祭での活動>
文化祭ではわが電通部は、ヤエスFT200Sを使って 7M、21MhzのQSO公開運用でした。
QSLカードの件ですが学祭で展示したような記憶があります。
電通でアマチュア無線をしていた頃の記録が大量に黒板の横の物入れに入っていました。
物入れの扉にはたくさんの無線局のカードが貼ってありました。

<コンテストの合宿について>
アマチュア無線連盟では年に何度かコンテストというのが開かれており、 それにあわせて校内で合宿を行っていました。 全国対抗で一定時間内にどれだけ遠い局、どれだけ数多く交信できるかがコンテストの趣旨です。
JA3YSJはクラブ局でオペレーターは登録メンバーであれば誰が運用しても差し支えないので、 皆で入れ替わり立ち代わりQSOしておりました。 その分手が空いている人はすっごく暇です。

必ず土曜から日曜にかけての24時間でコンテストが開催されるので、 もちろん校内宿泊です。
物理教室の大きな机がベッド代わりでした。 夜の学校ってすごく気味悪いじゃないですか。 肝試しとかやってなかなか面白かったですよ。
戦跡の方はよく覚えていませんけど全国対抗ですからそれなりでした。 無線をするのが好きで合宿に来ている人が半分と夜中に学校に泊ることが 楽しくて参加する人と2通りのタイプが混在していました。
宿泊明けの朝食は下店(したみせ=正門のしたのピン大の方に行く道の角にあった 「今でもあるかもしれない」駄菓子屋)でチェリオと菓子パンを買うのが恒例でした。 当時はコンビニなんてなかったし夜食はカップラーメンぐらいしかありませんでした。 コンビニ弁当、コンビニおにぎりがあればもっと豪華な夜食になったのに????

<大江山移動運用について(大江山死の行軍)>
55年か56年に後輩達を引き連れて丹後の大江山に移動運用に行ったことがありました。
ボロイ(持ち主に悪いが)ワンボックスカーに定員オーバーで乗車し、 悪路を走行したためタイヤがパンク。 一泊2日で1,000局ぐらいと交信しょうと思っていたのに翌朝は山の麓までタイヤを担ぎながら下山 (一度に2本もパンクしたため スペアーでは足りず。)そして夜は雷鳴轟き怖くて車内に待避。
暑い夏の思い出があります。

マルミ車
大江山での運用
<部室にあった小屋について>
 昔、生徒会室は2号館1F東端にあり(34期から1学年11クラス制に なるため立ち退きさせられ、バックネット裏に小屋を建ててもらった)、 その中央に裏の溶接がとれて、貫通した高さ1.8mぐらいのロッカーがあり、 暗幕とスチール棚を駆使してスペースを確保し、入り口をロッカーとして、 秘密の部屋が作られていました。
 「会室」の大掃除の時、このロッカーをくれと私が申し出、 3Fの物理講義室(確か僕が3年の時、社会科講義室に変更)まで持って上がりました。 と、言うのもうちのクラブはそれまで良く部室に泊まってましたから、トイレも近いし、 水道も電気コンロもあるので、安心して泊まれる部屋を作っちまおうと考えたのです。 水道横にあった木製棚(黒板と平行)を前(準備室方向)に移動すると、 後ろにスペースが出来ます。空いた横にロッカーを入れ、隙間を縦長の整理棚でカバー。 ロッカーを空けると畳1枚半位(だったと思う)の秘密の部屋が出来ました。 天井には、ガラクタにあったベニヤ板を載せて、上にもガラクタを積んでカモフラージュ、 室内には白熱灯を吊るしました。夜、明かりがもれない様に暗幕を窓にかけました。 三木さんの寝袋を中に敷き詰めて完成。ただし、実際にここで夜を明かした人はいません。
がちゃがちゃと遊んでいるうちに先生にばれ、 部長の僕は「部屋の整理に倉庫を作った」と決死の主張。 ガラクタだらけの部室に前からおかんむりの先生に誉められてしまいました。 実際、綺麗に片付くので以降、電光掲示板(電通太郎)、鉄道模型のジオラマ他、 本当に倉庫として活躍しました。いつ無くなったのかはよく覚えていません。

情報提供:岩田氏・澤田氏(28期生)、三木氏(31期生)、市原氏(33期生)

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